日本の「起業環境」知っていますか?
2018年4月22日マーケティング
「成功する起業家は特別な資質を持っていた」
「成功する人の行動はこう違う!」
「あの起業家が大成功を収めたのは、特別な知識やスキルがあったからだ」
このように起業の成否に関しては、起業家個人のうちにその要因が求められることが多いと思います。
起業家の性格や強み、経験、教育などと起業で成功しやすいかどうかについてはの関連は様々な議論がありますし、
何らかの関係はあるのでしょうが、このページでは少し見方を変えて、この日本の社会を起業環境という面からみていきたいと思います。
日本は起業しやすい?
まず、純粋に起業環境という面で考えたとき、日本は起業しやすい場所でしょうか。
世界的に見て日本は起業しやすい場所である、と思う方は少ないかもしれません。
起業しやすい、というのは法人設立の手続きや要件とか、そういう外面的なことというより、
社会的・一般的な起業に対する考え方、あるいは様々なキャリアの選択肢の中で、起業という選択肢の取りやすさといったことです。
徐々に変わってきてはいますが、起業家に対する日本の社会的評価はあまり高くありません。
起業という道を選ばない理由は人それぞれあると思いますが、リスクが高い、大企業で働きたい・公務員として働きたい、といった理由もあったかと思います。
こういった既成概念が変わるのには時間がかかります。
いくら論理的に正しくても、馴染みの深い考え方を変えるのは誰しも難しいと思います。
起業に対する社会的な見方を変えることも大切ですが、あなたが必要だと感じたことに純粋に取り組む、という意識も大事だと思います。
あなたが必要だと感じ、それを同様に必要だと感じてくれる人(顧客)がいれば、ビジネスとしても成立する可能性が高いです。
日本の社会・世間
よく、日本は調和や規律を大切にし、アメリカやヨーロッパは個人主義的である、という比較がありますよね。
もちろん、実際にこんな単純には語ることはできませんが、全く故なきことではないと思います。
まず、個人主義というのは、自分勝手とか利己主義とかいう意味ではありません。
今回は習慣や社会とも深く結びついている宗教的側面から説明させて頂こうと思います。
アメリカはプロテスタントが多いです。
プロテスタントの考え方では、世俗での職業にせっせと励み、禁欲的な生活を送ること、要は無駄遣いをせず貯蓄することが奨励されます。
一生懸命働き、貯金することが宗教的によいこととされているわけです。
個人主義的であるというのは、働くことは社会に奉仕することでもあると同時に、
一神教であるキリスト教における神とその人との関係のうちに位置づけられるということです。
つまり、貯蓄をし、頑張って働き社会に貢献することで、神様に救済されるという契約が、神と個人との一対一の関係において成立しているわけです。
悪いことをしたとしても、それはあくまで神と自分との関係性のうちにおいて処せられることになります。
だから、周囲の表面的な評価ばかりでなく、自分が必要だと思う仕事・社会に貢献できていると感じる仕事が重視されるわけです。
これは、アメリカに住む人々が皆そのように強くはっきり意識して生活している、というわけではないと思います。
自然とこのように考えていたり、無意識に行動していたりするところもあるかと思います。
一方、日本で経済において宗教の話はあまり出てこないと思います。
会社に神棚があったり、初詣に行ったりすることはあるかと思いますが、宗教が働くことの直接の動機となっていることはあまりないでしょう。
かわって、日本は「ムラ社会」であるという言われ方があります。
個人の生活や行動を規律するルールが共同体にあるということです。
これを破れば自分が所属する集団にはもはやいられなくなり、それを避けるために規律は厳格に守られてきました。
最近では、特に人権という観点からみたとき、こういった日本の伝統的慣習はあまりよく思われないことも多くなりましたが、
共同体の治安や秩序を守り、弱者を守るといった自治機能としての側面があることは見逃してはならないと思います。
ちょっと話がずれてしまいましたが、こういった伝統的な側面が現在の起業環境にも影響を与えているという考え方があります。
世間体を気にする日本
というのは、日本人が気にするものとして「世間」というものがあるかと思います。
社会との違いは、世間の方がもう少し狭い範囲です。
例えば、家族、親戚、ご近所さん、会社の人間、母校、そのほか利害関係者といった具合です。
テレビで謝罪している様場面を見ると、よく「世間の皆様にご迷惑をおかけして・・・」などと言っていますよね。
自分の何がどう悪いために誰にどんな迷惑をかけたかではなく、自分と何らかの関係やつながりのある人をお騒がせしたことに対してまず謝らなければならない、というわけです。
こういった世間の礼儀をわきまえず、目立とうとするものには、「村八分」の制裁が加えられます。
これがビジネスの世界にも当てはまってしまう傾向にあるため、「出る杭は打たれる」「事なかれ主義」がイノベーションを追求する起業に悪影響を与えてしまうことがあります。
人間関係が多岐に渡るビジネスの世界も、世間の一つということでしょう。
世間は既存の秩序を壊さず、平等である必要があります。
特に、結果の平等が重視されます。
現実には不平等も格差も、それらを生み出す激しい競争もあるのですが、そのような不都合を隠ぺいする機能として世間が利用されることもあります。
世間がビジネス界に存在することによって、ライバルを徹底的に蹴落とすということはあまりなくなり、
敵対していても、ほどほどにしようという空気ができる、というよい面もあるかもしれません。
ただ、イノベーションやスピード感という点から考えると、あまりよいことではありません。
日本の特徴をとらえて起業しよう
ここまで、日本の起業環境についてマイナスのことばかりになってしまいましたが、
だから日本では起業しないということではなく、きちんと起業環境の特性を理解した上で起業家として振る舞うべきだと思います。
特徴的な世間の存在は、イノベーションにとって負の作用を及ぼす可能性があると書きました。
しかし一方、私たちは世間で生き、ときに世間に助けられてきました。
おそらく今後も多くの世間の方にお世話になって生きていくことができるのでしょう。
世間を完全に脱することや、世間を急激に変えることは難しいです。
また最後に、当然ですが、すべてを世間のせいにするわけにはいきません。
起業家には、社会貢献やビジネスに取り組む姿勢において、常に自分で自分を律することが求められるでしょうし、
そのような積み重ねによって、起業に対する社会的な評価も変わっていくと思います。